大田区議会議員 塩野目正樹 公式WEBサイト 「風の道」

活動報告 ~風の窓~

2009年10月5日

しおの目まさき議員 堂々と代表質問#4

 冒頭からずいぶんと重い話をしてしまいましたが、大田区民の頭上を航空機がビュンビュン飛んでいる以上避けては通れない話でもあります。
 しかしまた同時に、やはり冒頭申し上げた通り、羽田空港とともにいかに大田区が発展していくかということが極めて重要な課題でもあります。ここからは、その視点から提言・質問をさせていただきます。
 空港跡地の問題です。
 2010年第四滑走路供用開始、すなわち「国際化」は来年の10月に迫っています。大田区は、この時期において、空港跡地の具体化に向けた作業をどれくらい進ませようとお考えなのでしょうか?跡地の取得を含めてお伺いをいたします。
 羽田空港が国際化となって、世界へ羽ばたくのは何も定期国際線の航空機ばかりではありません。未来という世界へ羽ばたく子供たちがおります。
 国際空港開港や定期国際線就航の際には必ず大きな式典があるかと思います。そこで、幼稚園・小学生・中学生、すなわち子供たちの「作文と絵のコンクール」を開催してはいかがでしょうか?もちろんテーマを設けます。私ならぜひとも「縁と羽田空港」「豊かな海と羽田空港」といった、一見相反するテーマをあえて子供たちに問うてみたいと思います。空港と環境、空港と地域、空港と人はどう関わり、どう向き合っていけばいいのか・・・。純粋で大胆な発想に私たちが救われることがあるかもしれません。
 本当に優秀な作品があれば、千代田区が「地球温暖化対策条例」の前文に中学生が起草したものを採り入れたように、大田区も何らかのかたちで正式に採用すればよいのではないでしょうか?
 「未来へ躍動する国際都市」についてお尋ねします。
2010年10月以降、羽田・パリ、羽田・ロンドン、羽田・バンコク、羽田・アムステルダム、及び羽田とドイツのいずれかの都市、で定期国際線が就航する可能性は高いようです。また、羽田・ソウル、羽田・上海、羽田・香港は事実上既に定期国際線が就航しています。いずれにしても、近い将来世界中から直接、羽田空港に降り立つ人が増えるのです。そのとき、外国からの方々は大田区に寄って行くのでしょうか、それとも素通りしてしまうのでしょうか。
 実は、私は今春、ドイツ・シュトゥットガルトをたった一人で視察してまいりました。シュトゥットガルトをもし知っている人がいるとしても、おそらくメルセデス・ベンツやポルシェの本社があるまちくらいのものでしょう。一昨日は奇しくもシュトゥットガルト空港で胴体着陸が起こってしまいました。しかし、シュトゥットガルトこそは最初に「風の道」の考え方に立脚し、風の道のまちづくりを実践した都市なのであります。言わば元祖「風の道」であります。
 どうしても行ってみたいまちだったため、とうとう一人で行ってしまいました。このとき、勉強したこと感じたことを報告するのはまた別の機会に譲るとして、このとき非常に印象深く感じたことがあります。
 何しろ、海外への一人旅はもちろん、ドイツへ行くのすら初めてだったのですから、心中穏やかではありませんでした。そんな中、私が本当に困ったときに実に絶妙のタイミングで現地ドイツの方に声をかけていただいたことであります。そういうことが2回ありました。おそらく20代の女性と青年でした。2回目のときは本当に助かったのです。ローカル線を乗り継ぎ、目的地を目指していましたが、どうも調べた通りにいかず、きっとここだと降りた乗り換えの駅。あたりは真っ暗。次はどの列車に乗っていいのかわからなくなってしまっていたところ、青年が私にきさくに声をかけてくれました。そして、教えてもらった列車に飛び乗りました。
 後で思うと、あのとき声をかけてもらわなかったなら、ドイツのいなかまちで路頭に迷っていた可能性が高いのです。おかげでたどり着くことができたのは、たまたまインターネットで見つけ、安くとれた、ライン川沿いに建つ古いお城のホテルです。夜中になると甲冑を身にまとった騎士の幽霊がガチャンガチャンと歩き回る、ようなことがあってもおかしくないくらいロマンティックな雰囲気のあるところで、まるで中世に迷いこんだようでした。ドイツの青年の人情に触れたからこそ、よけいに美しく感じたのかもしれません。いずれにしても、私はドイツが大好きになりました。あの青年のちょっとはにかんだ笑顔が思い出されます。
 思うに、国際空港があり、国際競争力を備えた「産業」が栄え、そして「大田区の良さを知っている、誇り高き地域住民が、外国から来た方々を優しい気持ちで迎え入れる、きさくに声をかける」、そんなまちこそが「未来へ躍動する国際都市」となるのではないでしょうか。
 そこで、空港国際化にともない大田区から「ウェルカム声かけキャンペーン」のような運動を大田区の地域の方々に働きかけてはいかがでしょうか?確かに、放っておいたって羽田のH.Mさんや大森の高橋先生のように困っている人には手を差し伸べるのかもしれません。しかし、よく日本人はシャイだと言われます。確かにそういうところもあるかもしれません。根強い外国語アレルギーもあるかもしれません。
 だからこそ、あえて区民に提言するのです。英語なんか喋れなくってもいいではありませんか。「はるばる外国から来た方々に「ようこそ!」「どうかしましたか?」と声をかけましょう」、と。
 私のように異国の地で困った人がささいなことで救われるかもしれません。その人は日本が、大田区が好きになるかもしれません。正に、「地域力」がつくる「国際都市」ではありませんか。
 大田区の見解をお伺いいたします。
 大田区から「風の道」を開くため、「海の森」を築き、「水の都」をつくろうと訴えてまいりました。海岸線の護岸整備もその一環です。
 このたび、大森東5丁目避難橋の耐震補強に際し、橋の数か所は展望デッキとすべく幅を広げるとのこと。松原区長の英断に大いに感謝します。避難橋から見る「ふるさとの浜辺公園」の白い渚はとても美しく、きっと今まで以上の人々が橋を行き交い、橋からの景色を眺めることになるでしょう。
 そこで、この際、私が以前から何度も提言しているように避難橋からモノレール昭和島駅までを街路灯を増設するなどして、明るくしていただきたいのです。昼間はいいのですが、夜になるとさびれた感じで、子どもや女性や高齢者が歩くにはちょっと怖いと思われます。実際につい最近、高速1号羽田線の下にホームレスがいて怖いという陳情をいただいたばかりです。何か事件があってからでは遅いのです。また、明るくすればより多くの人が「ふるさとの浜辺公園」に来てくれるでしょう。
 大田区の見解をお伺いいたします。いかがでしょうか?

 最後にやはり私のライフワークであります、河川や緑の回廊など、建物に遮られることなく風が冷たいまま吹きぬける通り道であります「風の道」についてお伺いいたします。
 本年の予算特別委員会でも質問させていただきました「呑川緑道の整備」です。
 中央八丁目、石川町、西蒲田一丁目から四丁目の三か所における6,737万6,000円の予算について、その進捗状況についてお伺いいたします。いかがでしょうか?
 また、次の整備はどの場所になるのでしょうか?
 「縁の基本計画」についてお伺いいたします。改定はすすんでいるのでしょうか?骨格くらいできあがっているのなら、お聞かせ願いたいと思います。

 今回、代表質問の主旨を話したうえで、いろいろとご意見を伺った、高橋先生には快く惜しみない協力をいただきました。その高橋先生の手はゴツゴツしていて、とてもお医者さんの手には見えません。そう、漁師さんの手のようです。きっと、羽田のH.Mさんの手もゴツゴツしていてあたたかいに違いありません。
 私も人を助けた先輩たちを見習って、ゴツゴツと愚直に仕事をしていきたい。その先には、あたたかい、輝かしい何かがあると思うから。
 これからも、美しい豊かな海としての「海の森」に思いをはせつつ、おおたの海に親しみ、多摩川を桜街道にすべく歩いたり、走ったりしてまいりたいと思います。そして、子供たちと一本の樹を植えてまいりたいと思います。やがて縁の回廊をめぐらせ、大田区から「風の道」が開かれ、地球が救われるような、そんな大田区を、また、飛行機が墜落しない、たとえ墜落してもみんな助かる、そんな大田区を、強く強く願いまして私の質問を終わります。

2009年9月29日

しおの目まさき議員 堂々と代表質問#3

 実は大田区には、東京国際空港9km圏内の海上において航空機事故が発生した場合に、東京国際空港長の出動要請を受けて医療救護活動を行う「ドクターボートセンター」という民間のボランティア団体があります。
 「ドクターボートセンター」は、医師、看護師をはじめ船長、甲板員その他の協力者によって構成されており、東京国際空港長から出動要請があった場合に、同センターに登録されている船舶に分乗し、消火救難機関などと連携して前記の医療救護活動を行うことを目的としています。
 現在、「ドクターボートセンター」には活動の拠点である呑川に本部を置くとともに、多摩川、中川、江戸川、荒川、横浜にそれぞれ支部があり、協力員総数76人、登録船舶数170隻により緊急時に対応できるよう協力体制が築かれています。
もちろん、本年7月16日の総合訓練にも参加されています。
 そして「ドクターボートセンター」の代表者である、大森で開業している高橋康之先生こそ、「日航逆噴射事故」の際、現場に駆けつけた医師の一人であります。
 また先ほど述べた1938年の航空機事故を契機に1940年開設された森ヶ崎医院に航空機事故対応医として着任したのは高橋康之先生の父親であります。のちに森ヶ崎医院は高橋医院となりました。高橋先生は父親の志と病院を継いだのであります。
かくして、運命に導かれるように、高橋先生は海上保安庁のヘリコプターで吊り下げられて事故機に向かいました。到着後、東京消防庁など消火救難機関の関係者と協力して、機体と椅子にはさまれた女性に応急処置を実施。爆発の危険を顧みず、処置を施しつつ、励まし続けること2時間。ついに女性を引きずり出し、命を救ったのです。
 高橋先生のエピソードは後にテレビでも取り上げられました。2003年10月2日9時30分より、フジテレビが「あの歴史的重大事件と闘った医師たち」という番組で約40分間放映したのです。私もビデオを借りて見させていただきましたが、心に迫りくる内容でした。
 大惨事から得た高橋先生の教訓は、「多くの医師がもっと早く現場に到着していれば助かる人間も多かったはず」ということでありました。そこで設立されたのが「ドクターボートセンター」なのであります。
 では、大田区はこのような団体とはどのような連携をとるのでしょうか?
 航空機事故は緊急事態ですから、現実に大田区の多くの医師が現場に駈けつけることになるかと思います。また、「日航逆噴射事故」の際には残念ながらせっかく地元大森に「牧田総合病院」や「安田病院」というりっぱな病院があるにもかかわらず、負傷者が一人も運ばれなかったと聞いております。緊急事態における医師会との連携は本当に大切であると思いますが、一体どうなっているのでしょうか?            
 そもそも、航空機事故応急対策としての「救急医療」はめったにない、またなるべくなら、あってはならないことではありますが、日常のいわゆる「救急医療」はその重責とともに大きな課題をはらんでいます。小児科医不足に出産難民、医療の現場は疲弊しています。区長はこのことについてどのような感想をお持ちでしょうか?
 不幸にして「日航逆噴射事故」のような航空機事故がおこってしまったとして、負傷者を救助し一刻も早く病院へ搬送しようにも、現状の海沿いの護岸、多摩川・呑川の護岸では負傷者を陸地へ上げる際、直立護岸のため具合が悪いという話を耳にします。ここは、やはり私が提言する「風の道」のまちづくりの通り、水辺を親水護岸とし、呑川や多摩川沿いに樹木を植えていくことが、ゆくゆくは「地球を救う」と同時に「人命を救う」ことになるものと考えます。大田区はいかがお考えでしょうか?
 先日、9月9日、高橋先生が自ら舵を取る救助艇に乗せていただき、羽田空港周辺を水上から視察してまいりました。普段、私たちが生活しているのは陸上でありますから、地域のことだけを考えるのはもちろん当たり前のことではありますが、そこは海や川に面している大田区であります。船に乗って水上・海上から改めて大田区を観ることで、感じ入ることも少なくありません。また、水辺の様子、実際に日本航空350便が墜落した辺り、出来上がりつつある第四滑走路などなど、羽田空港周辺をつぶさに視察し、やはり、現場をよく見ることが大切なのだと痛感してまいりました。
 そこで、指摘を受けたことですが、羽田空港の南端、エンジンテストセルの辺りに管理桟橋があります。その桟橋も浮き桟橋を付けて、医療救護活動に対応しうる桟橋とすべきです。いかがでしょうか?

2009年9月22日

しおの目まさき議員 堂々と代表質問#2

 不幸にして、このたびの質問に歩調を合わせるかのように、一昨日9月14日、ドイツ・シュツットガルト空港で、ベルリン発シュツットガルト行きの独コンタクト航空フォッカー100型旅客機が乗員乗客計78人を乗せ胴体着陸をしたそうです。同機には総選挙の遊説に向かうドイツ与党・社会民主党のミュンテフェリング党首が搭乗していたが無事とのこと。乗客と乗員の計2人が軽傷を負ったそうです。大事に至らず何よりでありました。
 「日航逆噴射事故」について調べていくと、YouTubeで今だに当時の事故を伝えるニュースを観ることもできますが、なかなか核心に迫るような資料を探り当てることができませんでした。「空白の五秒間-羽田沖日航機墜落事故」という本も読まさせていただきました。若い頃読んだ航空機事故を題材にした柳田邦男氏の「マッハの恐怖」という本のことも思い出されました。この本には感銘を受け、「続・マッハの恐怖」も読んだ覚えがあります。思うに、世界のエアラインの発展、航空産業の発展は、裏を返せば、悲惨な航空機事故の歴史の上に成り立っているのだと思われます。航空機事故でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。
 いろいろと探してたった一つ非常に生々しい記録を見つけることができました。以下に読み上げる「体験記」です。この方に朗読する許可をもらいお礼も言いたかったのですが、連絡をとる術が見つかりませんでした。この場を借りてお許しとお礼を述べさせていただきます。
 尚、一部省略したところもありますが、内容は全て原文のままであります。
 「羽田沖日航機墜落事故体験記」
 午前8時30分頃には既に高度は下がっていて、関東上空にさしかかっていたと思う。徐々に降下していき、海に浮かぶ船が大きく見えてきた。いよいよ着陸である。少し緊張していたので、何度もベルトの締め具合を確かめたようにおぼえている。更にぐんぐん高度が下がっていき、窓からのぞくと眼下に東京湾、前方に空港が見えた。「おかしい」と思い始めたのはこのときからである。急に離陸する時のような「ゴオーッ」というエンジン音(後で考えると、これが「逆噴射」の音だったようだ)がしたかと思うと、今度は急に機内が静かになった。と同時に機首が急激に下がり、前のめりのような格好になったのである。普通、飛行機の着陸は機首を少し上げて後輪から先に着地するが、この時は丁度ジェットコースターが滑り落ちるような感じだった。私はずっと窓の外を眺めていたので、みるみる海面が接近するのがわかった。乗客のざわざわする音は聞こえたが、着陸寸前の一瞬の出来事だったので悲鳴などを聞いた記憶はない。「危ない!」と思ったが叫ぶ暇もなかった。「ドドーン!」。猛烈な衝撃だった。海水や機体の破片、座席、或いは乗客であったかもしれないが、前から一斉に色々なものが飛んできて私にぶち当たった。私は目の前が真っ暗になり、それからはほとんど気を失ったようだ。
 とにかく「苦しい」という意識だけが残っていた。これがぎりぎりの救出につながったように思う。息ができず力の限りもがくとすぐに顔が海面にでた。どうやら海中に放り出されたらしい。といってもその時は墜落したこと自体を理解できなかった。眼鏡はどこかに飛んでなくなっていたし、顔がむくれて目がなかなか開かない。海水(ヘドロ)をたらふく飲んでいたらしく、まともに呼吸ができず、めいっぱい嘔吐を繰り返した。とにかく近くにあった機体の破片らしきものにしがみついていた。しばらくして徐々に回りが見えてきた。私の左側に機体が着水しており前方に主翼が見えて、回りは機体の破片が散乱していた。不思議なことにこのときまだシートベルトをしていた。座席ごと海の中に飛び出していたのである。もがいてすぐ顔が海面に出たのは、水深が浅かった(浅瀬であった)ことと、座席に浮力があったのか、座席に座ったまま体が浮き上がるような格好になっていたためだった。
 墜落の衝撃のため、機体は前から4列目と5列目の席の間で真っ二つに折れていた。あとで聞いた話だが、私が救出されたのは右の主翼の後ろだった。どうやら事故機は、はじめ進入灯に衝突した際に、6列目の左端に座っていた私をこの折れたところから機外へ放り出したあと私の上を通過し、私が右の主翼の後ろまで移動した時点で着水したようだった。
 時間が経つにつれて徐々に自分のおかれた状況がわかってきた。墜落したらしい。全身に激痛を感じた。体に力が入らない。その時どこからかふりしぼるような男性の声がした。「たすけてくれ・・・。」声がする方向を見ると、私と少し離れたところに私と同じように2人ほど海に投げ出された人がいて声の主はその中の一人だった。その人は血だるまになって顔をしかめながら機体の破片につかまっていた。もう一人は気絶しているのか絶命しているのか、顔を海面につけたままただ浮いていた。そのとき初めて恐怖感がこみ上げ「自分はこのままでは死ぬなぁ」と思った。2月の厳寒の海であったので海水はとても冷たく、体温が急速に奪われていく感じがした。まもなく悪寒がはじまり、体の震えが止まらなくなった。右手で顔を拭うと、右手が真っ赤に染まった。顔面からかなり出血しているようだ。このとき私の頭の中は、恐怖と絶望感で一杯だった。
 私にとって長い長い時間がながれ(実際は十数分だったらしい)、だんだん手に力が入らなくなってきた。そのとき突然右前方から小舟が現れた。「だいじょうぶかー」小舟にのった男性がこちらに向かって叫んでいる。「ここです!たすけて!」私も大声で叫ぼうとしたが声に力が入らない。しばらくしてその小舟は私の近くに浮かんでいたさきほどの乗客を救助しはじめた。人間なんて哀れなもので、その乗客を救出している最中も、私は早くたすかりたい一心で「ここにもいる!たすけて!」と連呼していた。「大丈夫、いま助けるから待っていなさい。」その乗客の救助が終わると、小舟が私の方に近づいてきた。私の目の前に舟がくるとその男性は私を海中からすくい上げてくれた。「たすかった!」私は地獄から這いあがった安堵感で、涙が出てきた。
 実はこのときこの舟の男性にはろくにお礼もいわず、その名前すら聞いていなかった。その後十数年間、私はことあるごとに「命の恩人の名前すら知らない」という後悔の念に悩むこととなったのである。
 舟に乗った私は空港がある岸まで運ばれ、その後救急車で「高野病院」という都内の病院に搬送され入院となった。全身打撲と数カ所の骨折で中等症との診断だった。私の真後ろ、右後ろ、そして右前の座席の乗客は残念ながらお亡くなりになった。前と右横の乗客も重傷を負っていた。出発の朝、福岡空港に着くのが数分でも早かったら・・・、またはタクシーがあと一つでも信号にひっかかっていたら・・・。おそらくわたしの搭乗手続きの順番はずれて、座席番号が変わっていただろう。運命の分かれ道というのは案外気にもかけないささいなところにあるようだ。
 事故から何年たっただろうか。平成6年、テレビ東京の「草野仁のTVアゲイン」という新番組の企画で、羽田沖日航機事故の生存者について取材をしたい旨の連絡が私にあった。この際、私が命の恩人の名前さえ知らないことをお話しすると、ありがたいことに番組のスタッフがこの人を捜してくれたのである。その方はH.Mさんという名前で、羽田に住んでおられた。番組で再会を果たしたのであるが、とても親切であたたかい方だった。命を助けて頂いたうえに、十数年間もお礼すら言わなかった私の不明を責めもせず、「憶えているよ。たすかってよかったね」と声をかけていただき、握手して頂いた。「あぁ、あのときの手だ。」このH.Mさんの手の感触を不思議なことに私の手は憶えていた。海中から助け出して頂いて以来の感触だった。
 H.Mさんは救助隊の方でもなく、一般の市民であったにもかかわらず、真っ先に現場に救助に行かれた方だった。事故直後の現場は油が漏れており、いつ爆発するかわからない状況だった。しかし、他の人がためらう中、H.Mさんは自分の命もかえりみず、浅瀬の危険な海で私たちを救助していただいた。H.Mさんがいなければ私は確実に死んでいただろう。本当にいくら感謝してもしつくせないほどの恩人である。この場をお借りして、改めてお礼を申し上げたいと思う。
 このように、滑走路近辺の水面に航空機が墜落した場合、緊急事態として多くの「海の男」たちが駆けつけてくれると思われますが、大田区はそのような状況を想定し、把握していますか?

2009年9月18日

しおの目まさき議員 堂々と代表質問#1

 自由民主党大田区議団を代表して質問いたします。

 ニューヨーク旅客機事故・「ハドソン川の奇跡」に想う

 日本の空の玄関、羽田空港を擁する大田区にとって、空港と共に発展を遂げることが極めて大切なことであることはもちろんのことではありますが、同時に大田区の空の安全・安心を確保していくことが不可欠な課題となってまいります。
 実際に、大田区議会も「羽田空港対策特別委員会」を設置して、旅客機の航路や騒音等、様々な視点から常に大田区の空の安全・安心に目を光らせてきたところでもあります。
 よく、飛行機は「クルマ」よりも、確率的には余程安全であるという話を耳にしますが、私も世界のエアラインは安全である、特に日本の旅客機が大きな事故を起こすことなど絶対にない、と強く信じている一人であります。
 ところが最近、信じられないようなそして結果としてはとても喜ばしい、大変興味深い事故がニューヨークでありました。
 ウィキペディアには次のようにあります。
 2009年1月15日、USエアウェイズ1549便は、エアバスA320に操縦要員2名・客室乗務員3名と乗客150名が搭乗しニューヨークのラガーディア空港からノースカロライナ州のシャーロット・ダグラス国際空港へ向かう便であった。しかし離陸直後、バードストライクによって両エンジンが停止し、機体維持が出来なくなった。空港管制は、テターボロ空港への着陸を指示した。
 乗務員は事態の改善に努力したがエンジンは再始動せず、不時着しか手段が無いと判断した機長のチェズレイ・サレンバーガーは乗客に「 緊急事態発生のため、これより川に不時着水しますので衝撃に備えて下さい」と伝えた。 異常発生から約3分後、1549便はパイロット達の懸命な操縦によりニューヨーク市マンハッタン区とニュージャージー州ホーボーケン市の間に流れるハドソン川へ通常着陸時と同様の滑るような着水をした。そのため機体の損傷は無いに等しく、乗客ら全員が迅速に機体から脱出シューターに避難した。乗務員は、非常事態に冷静に対処した。特に機長は不時着水後も機体内を見回り、乗員乗客全員が脱出したのを確認してから自身も脱出する等、最後まで冷静に事態の対処にあたった。
 事故機は着水から約1時間後に水没した。機体は17日深夜に引き上げられた。
当該機の不時着水後、着水地点がたまたま水上タクシーや観光船、マンハッタン島とニュージャージーを結ぶ水上バスのマンハッタン側の発着場に近く、またニューヨーク市消防局やアメリカ沿岸警備隊の警戒船や消防艇が停泊する港に近かった。一番近かった観光船と通勤フェリーを運航する会社の船が着水4分後に現場に到着し即座に救助にあたり、後を追うように水上タクシーと沿岸警備隊や消防の船が救助活動にあたった。また、ニュージャージー側からも救助の船が駆けつけた。ニューヨークの心臓部であるマンハッタン島に近く、迅速に活動できる船舶が多かったことも、機体が沈んでしまう前に乗員乗客を避難させることができることにつながった。
 この模様を何故か今晩のテレビ番組でやるようなので私もぜひ観てみたいと思います。
 この事故は全員がけがもなく助かったという正に奇跡のような話で、何か自分も救われたような心持ちになります。
 しかし、もしも負傷者がいたとすれば、不幸にしてお亡くなりになった方がいたとすれば、救助よりも機体が沈むのが早かったならば・・・。もし、航空機事故が大田区でおこったならば、大田区は一体何をすべきか、何ができるのであろうか。あのような状況が羽田沖や多摩川河口で生じたならば、地元大田区として、あるいは事故現場から最も近いところにいる者として、対処しなければならないことは決して少なくないように思われます。・・・。
 このとき決して忘れてはならないあの凄惨な事故が脳裏をよぎります。そうです、「逆噴射」で有名な1982年2月9日の日本航空350便墜落事故であります。
 実は、歴史をひも解くと、1966年2月4日、千歳空港発羽田空港行きの全日空60便が羽田空港に着陸進入中東京湾に墜落し、乗客乗員133人全員が死亡したという「全日空羽田沖墜落事故」があります。この事故は単独機として当時世界最悪の事故でありました。
 もっと遡ると、1938年8月24日、上空で旅客機と練習機が衝突、墜落するという航空機事故がおきております。墜落した場所は現在の大森南であります。死者85名負傷者76名という大惨事でありました。
 それでも、より最近のことであり、当時ちょうど20歳であった私にとって、非常にショッキングであったこと、地域では今だにこの事故のことを耳にすることがあること、そして何と言ってもUSエアウェイズ1549便のように陸地の近くに不時着水するかのように、しかし無惨にも墜落したというところに、やはり「日航逆噴射事故」に着目しないではいられないのであります。
 ウィキペディアには次のようにあります。
 事故を起こした日本航空350便は、9分遅れの午前7時34分に福岡空港を離陸した。その後、フライトプランに沿って順調に飛行し、8時35分には羽田空港への着陸許可を受け車輪、フラップをおろして着陸準備に入った。
 高度200フィート(約61メートル)までは順調であったがその直後の8時44分1秒、機長は自動操縦装置を切ると、突如として操縦桿を前に倒し、機首を下げながらエンジンの推力を絞る操作と、エンジン4基のうち2基の逆噴射装置を作動させる操作を行ったため、機体は前のめりになって降下し始めた。
エンジン音の異変に気付いた航空機関士が「パワー・ロー」と叫んで推力を戻し、副操縦士が操縦桿を引き上げたが、8時44分7秒、滑走路手前の海上にある誘導灯に車輪を引っ掛けながら滑走路直前の浅い海面に機首から墜落した。機体は機首と機体後部で真っ二つになった。
この墜落により乗客24名が死亡、乗務員を含む149名が重軽傷を負った。
 そこで、お伺いします。
 このような航空機事故がおこった場合、きっと所管は国か東京都ということになろうかと思います。実際に、本年7月16日大田区京浜島一丁目1番先付近運河上及び第二方面訓練場において、航空機が着陸時における突発的な事故に直面し、着陸に失敗、直近運河に墜落し、多数の負傷者が発生したとの想定で総合訓練が実施されています。
 ポンプ隊、水難救助隊の連携により次々に救助された傷病者は、救急隊や現場に駆けつけた医師等に引き継がれ、病院に搬送されます。実に頼もしい限りです。
 では、大田区は航空機事故における人命球助においてはどのように位置づけられているのでしょうか?     
 大田区には「航空機事故応急対策」といった決まりごとはあるのでしょうか?

2009年9月9日

代表質問のお知らせ

 長い選挙戦が終わって、休む間もなく、大田区議会第3回定例会が9月16日から始まります。
 私しおの目まさきは、再び代表質問の大役に臨みます。出番はもちろん初日、

 9月16日 本会議場 3時頃

となります。傍聴大歓迎。乞うご期待・・・

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